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2024/05/07 05:41 |
プリンと生肉










本日は『小部屋の中のマリー』で共演した
菅野貴夫さんと
DULL-COLORED POP 堀奈津美さん
の出演する舞台2本を観てきました。


これがまあ、ものの見事に世界観が間逆だったのである。

 


和菓子屋の仕事を午前中で終え、着物に着替えてえんやこら。

お昼は、奈津美さんの出演する舞台を観に、王子小劇場へ。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

劇団競泳水着第10回記念公演
第二期・トレンディードラマシリーズ三部作 第三弾

「プリンで乾杯」
~それもこれも、きっと愛。~

脚本・演出 上野友之

2008年12/10(水)~16(火)
@王子小劇場

 


『トレンディードラマ』の定義が、私にはよく分からないので、その辺は置いておいて・・・。


登場人物達は、全員【恋か仕事・または両方】に悩んでいます。

ルームシェアする若者達。
音大生やバンドマンや新社会人。
分かれた彼女と【友人】として同じ屋根の下に暮らす事になった人・・・。


どうにも上手くいかないもどかしさ。様々な事情を抱える男女の、
悲喜こもごものやりとりが展開されます。
で、色々な節目で、皆がプリンを食べる訳です。
なので、『プリンで乾杯』。



奈津美さんは、デビュー寸前のバンドマンの恋人役。少し年上だったのかな?
彼女の持つ、温かな優しさが良く出ていました。
この方も、独特の情の深さと言いますか、
受け止める優しさ(時に強さ)を自然に体言できる役者さんですね。
未熟な若者達の中にあって、ちょっとだけ大人びた視点を持つ存在。
いいポジションだったと思います。


それにしても、奈津美さんはビールが良く似合いますね(笑)。


ちょっとしたタイミングで、すれ違いは起こり、
それぞれの道はどんどん作り出されて行き、
それでも、また交わる時は来るか。

ささやかで、時に味気なくも大切な時間。
そんな印象でした。


作品として少し気になったのは、
出演者は、ひとりひとり面白く、展開もそつなく過ぎて行くのですが、
全てのシーンが同じリズムで、登場人物が皆、同じような悩みを抱えているためか、
キャラは違うのにトーンが一定になってしまい、途中きつくなってしまうところはありました。

ずーっと観覧車に乗って何週もしている感じです。
 

そうなると、どのキャラにも感情移入がしづらくなってしまうのです。


途中、作品創りに悩みを持つエロ漫画家さんが出てくるのですが、
デフォルメされたキャラのハズの、彼の言葉が一番リアリティーがあったりしました。
あれ、面白かったなあ。


とはいえ、色々な部分でセンスの良さは感じたので、
今後は、『ジェットコースター』や『メリーゴーランド』的なシーンも入れていただけると、ありがたい。





夕方。着物屋さんで古着を見つつ、向かった先は新宿シアターモリエール。
菅野貴夫さんの出演する舞台を観てきました。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

アロッタファジャイナ第10回公演
『今日も、ふつう。』

作・演出 松枝佳紀

日時:2008年12月10日(水)~14日(日)
会場:新宿シアターモリエール



ダルカラの谷さんも書いていたけど、
あまり『ふつう』の人達は出てこなかったです(笑)。




『プリンで乾杯』とは対照的に、
登場人物のほとんどが殺人などの事件に関与してしまうという、とんでもねえ物語。


一見「ふつう」に暮らしている人達。
が、ちょっとしたきっかけで「ふつう」は裏返り、その実態を晒す・・・
と、こう書くとパニックホラーのようですが、
冒頭は恩田陸の『六番目の小夜子』や赤川次郎のミステリ小説のような雰囲気。


4人の女子高生が主役なのですが、案外、ストーリーはその周囲で動き出し、歪んでいく。
これは、いい手だと思いました。
まあ、終盤ちょっと展開が強引なところがあり、脇役達が全員殺人を犯すというのも、
却って全体の効果を失わせているのではないかと思いましたが、歪み具合はキライじゃなかったです。



菅野さんが、とても良かった。
4人の女子高生の若々しい輝きの中に、菅野さんの陰りのある落ち着きが、いいアクセントでした。
まあ、菅野さん、最後はとんでもない過去が暴かれる訳だけど、なぜか納得してしまう。
ありそう(笑)。



ラストシーンでは、とある事件の犯人だった事が明るみになった二人が、
過去を清算しようと(終わりにしようと?)家に火を放ち、
色々とうやむやなまま、山下達郎の音楽の流れる中、
二人は案外と満足気に抱き合いながら死んで行きます。


このシーン、キレイに創ってありますが、何しろ、当の本人達は、
自主するでも謝罪するでもなく、友人に「私たちの本当の事を小説に書いて」と言い残し
(ある意味)愛し合って心中するので、ツッコミどころ満載なのです。

「おいおい。何、キレイに終わろうとしてやがる」的な。



ですが、この身勝手なツッコミどころの多さに、
妙に納得してしまうところもあったのです。

彼らにとっての大事な事。

「こうやって死んで行く連中いるかも」って思ってしまいました。
あたしゃ、認めませんが。

 

―と、まあ、一日で本当に両極端の世界を観て来た訳ですが、
観る順番が逆だったら、また違った感想が出てくるかも知れませんね。


日常と非日常。
それもこれも現実で真実。

我々は、どっちの面も持っています。確実に。外れなく。

 



プリンと生肉。


 

どちらかだけでも、それはそれで恐ろしい。

 



 

              小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
 

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2008/12/14 01:39 | Comments(0) | TrackBack() | 観劇記録
柏市民劇場CoTiK第一回公演『ロミオとジュリエット』
 





 
 
柏市民劇場CoTiKの第一回公演『ロミオとジュリエット』を観劇してきました。
 
「柏で創り、柏で観る」をテーマに行われた公演で、
地域の人間達から参加者を募り芝居を創るという試み。
 
 
仕掛け人は、昨年、野外劇『藪の中』でお世話になった、
DULL-COLORED POPの主催、谷賢一さんです。
 
とりあえず、まずはここを見てくだせえ。
 
 
 
 
 
各出演者が、非常に生き生きしていて、大変見ごたえがありました。
正直に言えば、もっとドタバタになるかと思っていたのですが、なんのなんの。
逆に幕開きで「案外うまいなあ・・・」と不満(?)になったくらいです。

モンタギューとキャピレットの両家が出てきた瞬間、空間の質があっという間に変わりました。
いやあ、面白い!!
お父さん世代って、どうしてあんなに魅力的なんだろう?

さらには私的に今回のMVP、乳母が最高でした。
確かに、元々おいしい役といえばそうなのですが、あの空気は生半可な気合では出せますまい。
劇団河馬壱で共演しているcozyさんも奮闘しておりました。
 
 
この時期、養成所や専門学校の卒業公演も数多くありますが、
そこと、この公演が確実に違うのは、

○地域の人々(隣人)が舞台を通して出会った事。
○年齢層がバラバラであった事。
○世代の違う出演者が皆、同じスタートラインに立っていた事

だと思います。
 
 
出演者は稽古を通して、自分と違う世代を見つめるわけで、
それは自分との差異を見つめ、自分と、さらには自分以外(社会?)と向き合う事になります。

先輩も後輩もないわけで、何かがしたいから集まった人々がぶつかり、
エネルギーを生み、それがまた観客に何かしらの影響を与える。

観客だって多くの人が柏市民です。
【自分達の生活圏に】新たな出来事が起こった事。これが大きいのです。
 
 
 
この企画の事は、昨年から聞いていたのですが、最初に浮かんだ言葉は
「いいなあ!」でした。

 
パンフレットに谷さんも書いていましたが、
演劇というものの素晴らしさのひとつは【出会い】、そして【繋がり】です。

ひょっとしたら、いや、まず間違いなく、この公演がなかったら、
出演者並びにスタッフの方々は、ここまで深く【出会って】はいないと思うのです。

世代も職業も関係なく、共に考え、動き、悩み、あるときは泣き、笑い、
がむしゃらにがむしゃらにひた走った体験というのは、こりゃあ、大変なものです。
とても強い、強い繋がりが生まれたのではないでしょうか。
 
演劇というものには、本当にそういう力があるのです。 
語弊を恐れずに言えば、私が演劇に関して確実に知っている事はその部分だけです。
そこがとても好きなのです。
 
 
 
【種を蒔く】という事をずっと考えていまして、
演劇(お芝居)を都市の外に持ち出すというのは、一座の構想にずっとあります。
今回の『ロミジュリ』は、ひとつのモデルとして、とても参考になりました。
 
 
 
企画などについて言えば、
なぜ、今回『ロミジュリ』を選んだのか
とか、
最後、ロミオが鶴屋南北作品の主人公のように切りまくっていく設定にしたのはなぜか
とか、
「ロミジュリって、こういうお話だったんですね!」って言っていた人達がいた
とか、
細部の変更点についてとか、まあ、色々伺いたい事もあるのですが、
とりあえず、そこは置いておいて、
今回の公演は、大きな意義のある企画だったと思います。

 
谷さん、そして皆様、お疲れ様でした!!
 
 
 
 
 
                              小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
 

2008/02/20 00:28 | Comments(0) | TrackBack() | 観劇記録
観劇『アンチゴネー/血 Ⅱ』
 
 
 
テラ・アーツファクトリー公演 『アンチゴネー/血 Ⅱ』を観てきました。
 
 
実は私、数年前から、この『テラ・アーツファクトリー』代表の林英樹さんの行う
ワークショップに参加していまして、2回ほど出演したこともございます。

小櫃川一座とはまったく色が違うので、驚かれる方が多いですね。
逆に、テラの方々が小櫃川の公演を観ると、これもまた驚きます(笑)。
ストーリーがあるわけではなく、ある題材やテキストを素材として使い、
新たな命を生み出そうとする試みを行っている団体です。
 
私は内輪の人間という事になるので、
以下に書いた文章がそのまま客観的な意見にはならないかも知れませんが、
本番当日まで内容は知らされておりません。とりあえず自分なりの意見を書いてみました。

 
テラ・アーツファクトリーについて詳しく知りたい方はこちらへ。
 
 
 
 
 
ギリシャ悲劇『アンチゴネー』を題材に、現代に生きる者達の声をPCの掲示板というカタチで取り込み、
2400年という時間・空間の隔たりを飛び越え、過去と現在の世界を接続させる試み。
 
舞台上に現れる4人のオフィスレディー達(「OL」でいいじゃないか、と思うのですが、これは全然別の話)。
皆、仮面を被り、無機質にキーボードを打ち続けている。
 
 
カタカタと音をたてるパソコンは、
(最終的に)大いなる意思に接続するという行為のメタファである、と思われる。
 
接続(アクセス)するのは、舞台上の女性達であり、我々観客自身。
アンチゴネーの貫き通した意思は、社会の中で生きる人間からの脱却であり、脱皮である。
 
 
男性出演者は一人だけ。
彼がクレオン。権威と社会の象徴である。
そのオトコは何枚も何枚も衣服を着込み、ブクブクに膨れ上がり、動けない王となる。
逆に女性達は衣服を脱ぎ、清らかな意識へと還っていく。
 
衣服を脱いだ女達と着膨れしたオトコの言葉同士がぶつかり合い、弾け、空間を埋め尽くす。

 
やがて、切り刻まれた布切れの山に埋められていた一人の女性が、ゆっくりと起き上がる。
それは、まるでサナギから蝶が産まれてくるのを見るような、美しい瞬間。
 
彼女は人という存在から、神秘的な存在に生まれ変わったのだ。
 
最後、女性達は布切れの山に自分達の『血』を撒き散らし、還っていく。
回帰する。
 
 
演劇の根底には儀式(セレモニー)があるという事を感じさせる作品でした。
出演者は皆20代半ばなのですが、80分間ほとんど動きっぱなしで舞台に存在しないといけないので、
相当気力と集中力を使ったと思われます。
 
『自決』と『自殺』には、大きな隔たりがあると思っているので、その辺りのズレや、
私が男性で30代であるためか、掲示板テキストに対してどうにも違和感を覚えてしまう部分もありますが、
言葉がことばになる瞬間や、身体の奥から生まれる意識が空間を埋めて再構築していく形態は、
非常に興味深いです。
 
 
 
 
 
        ことば    おと    からだ    いしき    くうかん    くうき

 
 
全ては同じ場所に還る。
 

 
 
 
 
                               小櫃川桃郎太(おびつがわ ももろうた)
 
 
 
 
 
 

2007/12/17 23:41 | Comments(0) | TrackBack() | 観劇記録
『海の向こうで戦争が始まる』
 
五月のイベントで知り合った、谷賢一さんの主催する劇団、
DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)】の公演
『Caesiumberry Jamセシウムベリージャム)』を観劇してきました。
 
一座の公演『雪女』に出演していただいた危村武志さんが出演。
其の日は、日替わりゲストとして、猫道さんも出演していました。
最終日に吉田ミサイルさんも出演していたのですが、平日のため、観に行けず、残念でした。
 
 
さて、作品は『チェルノブイリ原発事故』を題材としたもので、
事故現場から遠く離れていて平和な(ハズ)の小さな村を取材した
フリーカメラマンの記述よって語られる、ひとつの≪現実≫の物語です。
 
舞台上には砂場ひとつという、シンプルな舞台装置(個人的にこういうのは好きです)。
死の灰をイメージさせ、時には部屋に、時には森にと、自在にその空間は変化します。
事故により人々に何が起こり、何が変わったか、あの事故は何を殺したのか。
舞い散る灰が人々を覆い、積もる。
音も無く静かに。気づかれもせず忍び寄る。
音楽や照明も極力シンプルに創られており、この題材に対する創り手の姿勢がうかがえました。
おそらく、稽古場でも役者に部品(パーツ)だけ提示して、そこから出てきたものを尊重するやりかただったのではないでしょうか。
 
 
 
演出や演技うんぬんより、今、この題材に取り組んで作品を創ったという事の意義は大きいでしょう。
 
『チェルノブイリ原発事故』について、現在、我々がどれだけの事を記憶しているか?
日々痛ましい事件が起こり、新しい事柄に埋没していく過去の出来事。
「そういえば、あの事件ってどうなったんだっけ?」
マスコミで取り上げられなければ、我々はどんどんその記憶を希薄にしていってしまいます。
柏崎原発についての報道が起こった時、遠く離れた東京に住んでいる我々は(そして地元住民でさえ)、
具体的な被害のイメージはできなかったのではないでしょうか。
『セシウムベリージャム』は、まさに其の事に警鐘を鳴らします。
 
それは決して対岸の火事ではないという事。
薄皮一枚のとても危うい状態だという事。
政府(役所)・マスコミというものは、真実を伝えないという事。
忘れる事の罪
もみ消された真実
隠された傷跡
 
我々は自分達で考え、疑問を持って、行動しなければならない。
この作品を観て「重たいハナシだなあ」とだけ感じてしまうなら、本当の危険はそこにあるのです。
 
 
 
登場人物がほとんどロシア人という設定で、そこのリアリティについてや、
事故の痛ましさを伝えるという面から考えれば、少し優しすぎるという部分などはあったかも知れませんが、谷さんの作品の持つ視点は、好感を持っています。
まだまだ若い劇団なので、観客の年齢層がどうしても若く、ともすると身内に限られてしまうので、その辺りはもったいないな、とは思いますが、これからが楽しみな劇団です。

今後の活動に期待しています。
 
 
 
※余談ですが、谷さんのお誘いで11月4日に柏市で行われる野外イベントに参加する事が決定いたしました。詳細はまた後日。
 
 
                                        小櫃川桃郎太(おびつがわ ももろうた)

2007/10/17 02:27 | Comments(0) | TrackBack() | 観劇記録
サーカスは消えていった

水族館劇場の舞台を観劇。

テント芝居を観るのは、2回目。



とにかく、観終わって、なんだか分からないモノが、頭の中をぐるぐるしている。

なんというか

上手いとか、下手とか、
演出がどうとか
セットが凄いとか

確かに凄いんだけど、どうでもよくって

退屈なところいっぱいあったけど
寒いけど、長いけど、ツライけど、
目が離せない・・・のか? そうか?

ああいう芝居がやりたい! とも思わないが。


この感覚が、何なのか。

快なのか不快なのか。
解なのか深いなのか。


『芯』にあったのは『情』。
ああ、よくわからねえんだけど、異様に切ないんだよ!!



たぶん。

                            小櫃川 桃郎太

2007/05/31 01:30 | Comments(2) | TrackBack() | 観劇記録

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