仕事先の仲間を招き、自宅ですき焼きパーティーを開催。
二回目です。
みんな年下なので、なんか、親戚が集まっているような気分になります(笑)。
けっこう買いこんだつもりだったんだけど、あっという間に完食。いやあ、素晴らしい。
けっこう買いこんだつもりだったんだけど、あっという間に完食。いやあ、素晴らしい。
ひとり、体調を崩して欠席。とても残念がっていました。
また、やるから、安心なさいな☆
夏には、そうめんでも作るかね?
多分、自分はこういう空気が好きなんだろうな、と思います。
一座の公演をする時も、そこは同じで、作品創りとは別に、どう観てもらうか、どう、その空間に居てもらうか、そこを考えます(とはいえ、これは気をつけないと公演自体を軟弱化させてしまうのですが)。
どうせ観るなら、心地よい空間がいい。
それは、キレイというわけではなく、色を持たせるという事です。
時代物の芝居というものが、すでに異世界の要素をもっているため、リアルに再現しようとすると、どうしてもアミューズメントパーク的にならざるを得ないのですが、しかし、それには膨大な費用がかかるし、演劇を中心に置くなら、それは有効な手段ではありません。
あくまで、それは一要素でなくてはならないと思っています。
ある時代の『再現』ではなく、自分なりの大切な要素を選んでいく。
ま、つまりは『イイとこ取り』です。
あくまで、それは一要素でなくてはならないと思っています。
ある時代の『再現』ではなく、自分なりの大切な要素を選んでいく。
ま、つまりは『イイとこ取り』です。
自分としては、
『非日常と日常の境目にまたがった、古風で身近な空間』
そういったモノを目指しております。
小櫃川 桃郎太(おびつがわももろうた)
『非日常と日常の境目にまたがった、古風で身近な空間』
そういったモノを目指しております。
小櫃川 桃郎太(おびつがわももろうた)
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水無月になりました。
いよいよ梅雨の季節です。
なにげに、雨は、けっこう好きなのです。
大雨、小雨、霧雨、氷雨、時雨、五月雨、春雨、秋雨・・・
しとしと ざあざあ ぴちょん、ぴちょん ばらばらばらばら ざあああああ・・・
雨の色々な表情は、案外、楽しいものです。
今度、『雨』にまつわる話、書いてみたいなあ。
主役の名前は『紫陽花(あじさい)』と『蝸牛(かたつむり)』。
うん、きっと『氷雨心中』とかいう題名だ(笑)。
小櫃川 桃郎太
金曜日に、『番頭!皿屋敷』の出演者と後打ち上げに行ってきました。
もちろん(?)カラオケです。
3時間に渡り、歌舞伎町で歌謡曲の歌合戦が繰り広げられました。
公演で使った曲を歌ってみたのですが、改めて『与作』の難しさを思い知りました。
シンプルにして、奥が深い。ううむ、さすが巨匠、北島三郎さん。
その後、新宿の『大小原(だいこはら)』という飲み屋へ。
ここでは、毎月第3水曜日には、寄席が行われ、飲みながら落語が楽しめます。
私は、三沼さんと何度か来ていましたが、渡瀬さんは初めて。「こういう雰囲気の店は落ち着く」という言葉に、やはりこの方も感覚が古風だなあ、と思いました。
今度は落語を聞きに来たいですね。
落語という芸の素晴らしいところは、身体ひとつであらゆる表現を行うことでしょう。
噺家さんの卓越した話術により、観客のイメージ力は揺さぶられ、そこにあたかも、人や景色があるように感じる・・・というより、その世界に入り込んでしまう。
使う小道具も、手ぬぐいと扇子ぐらい。しかも、そのふたつが、煙管になったり、箸や徳利になったりする。
頼れるのは、己の身体ひとつ。
これは、ピーターブルックの言う『何も無い空間』にかなり近いのでは!?(と、私は思っております)
何より、『芸術』ではなく『芸』なのだというスタンスに、とても共感いたします。
あくまで大衆の楽しむ娯楽である、ということ。
それは、時として忘れられがちな、ささやかな問題を扱う事である、ということ。
だからこそ、真摯に、誠実に取り組む必要がある、ということ。
『何も無い空間』はあらゆる事を伝える。
『芸』は、身近にこそあるべきもの。
小櫃川 桃郎太
知人の紹介で、『mixi』に登録しました。
今まで、なんとなく避けていたのですが・・・
まあ、いいかな、と思いまして。
まあ、いいかな、と思いまして。
で、やってみたのですが、
案の定、使い方がよく分かりません!!
本当に機械オンチなんです。
このブログも、立ち上げてくれたのは製作さんなので、
なんとかかんとかやっております。
これじゃあ、この間の番頭さん、そのままだなあ。
小櫃川桃郎太