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2017/12/13 04:55 |
この世を構成している錯覚と写し絵
 
 
 
 
 
私は昔から、時々ですが、

「自分の生きているこの世界が実は夢で、今まで生きてきた時間は全て幻なんじゃないか」

という感覚に陥り、難儀する事があります。
 
 
この感覚は、今でも時々襲ってきます。

 
これといって原因があるわけではないのですが、
ただなんとなく
 
「今、自分が見ているこの世界って、本当に現実なのか?」
 
と、ぽつんと考えてしまうのです。
 

 
その瞬間、周囲の景色は突如色を変え、
辺りの音は遠くなり、
足元はひどく不安定になり、漠然とした恐ろしさと不安に襲われ、

 
そして、ひどく悲しくなります。

 
 
あたり一面まっしろな空間にぽつんとひとりで佇み、
その【自分】すら、音もなく削れていくような、
そんな、遠い記憶のような実感覚。
 
 
 
しかし、とりあえず元の世界(?)には戻ってきますし、
戻って来た時に泣き出したりするわけではありません。
 
ただ、悲しいな、と想いながらも、
 
「そんな事、誰にも解らないし、証明する方法も無いよな」
 
と考え
 
「まあ、仕方ないんだろうなあ・・・」
 
と、諦めにも似た感覚で目の前の景色を眺めるのです。
 
 
私には常に、どこかこの感覚が付きまとっているように思います。
最初から世界をあきらめているというか、達観しているというか。
考えるのが面倒くさいというか。
 
 
 
 
でも、なんだか、それを認めたくない自分もいるのですね。
だって、なんだか悔しいじゃないですか。
 
 
さっきの感覚が強く襲って来た時、私はその場で走ります。ダーっと。
 
なんか悔しいので。
 
悲しいけど、仕方ないけど、
 
嫌なので。
 
 
 
 
 
右目と左目は違った映像を視ている
という学術的証明まである以上、
我々は常に錯覚の中を生きているという事になります。
我々は、(少なくとも視覚では)世界を正確に認識できないのです。
 
この世界そのものがすでに騙し絵のようなもので、
『中』に居る者たちだけが、それを知らない。
 
  
ならば、このあらゆる感情や想いも錯覚なのか。
悲しみも喜びも憎しみも何もかも錯覚で、この世は夢うつつなのか。
 
そもそも自分の認識している世界が
他人にも同じように認識されているのかなんて、
誰にも証明できません。
 
 
 
 
      で        す         が     。

           
                 し        か        し     。
 
 
そんなゴチャゴチャした考えが、どーでもよくなるくらいの
鮮やかな瞬間があることも、また事実です。
 
たとえ、それさえも錯覚かもしれなくても、
あたしゃ、その瞬間を信じる事ができます。
 
 
『それ』を疑いもしないで、黙々と生きるのもキライですが、
悲観して嘆くだけなのも嫌いです。

 
 
 
時々は目をつぶって外で寝転がってみるとよろしい

風の音と肌に触れる空気に身を任せてみるとよろしい
 
 
謳(うた)ってみるとよろしい

あくびをするとよろしい

影踏みをするとよろしい
 

 
落ちてくる木の葉をながめるとよろしい

美味しいコーヒーを淹れるとよろしい

手のひらで頬に触れるとよろしい
 




 
 
 







 
「肝心なことは、目にはみえないものなんだ」

星の王子さまはそう言いました。
 
 
 
さもありなん。 
 
 
 
 
             小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
 
 
 
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2008/03/07 21:07 | Comments(4) | TrackBack(0) | 想うこと

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コメント

「世界の…」の製作過程で、桃郎太さんを何か強く揺り動かすものがあるのかなぁ、と思いました。
そういう不思議な感覚、確かにありますね。「知らず生まれ死ぬる人、いづかたより来たりていずかたへか去る…」だいたいなぜかいきなりここにいて(記憶喪失?)、いつ何処へとも知れず消えていくのですから、自分が見ている世界がすべて虚構(夢?)だと感じてもおかしくないでしょう。世界が仮の姿だとすれば、それに対する欲望もまた仮の姿。時々見せる淋しい微笑みは、"諦観" だった…のかな。

でも光なくして形を認識できないように、世界なくして自分を写しとることはできませんよね。世界という鏡の見え方には個人差があるにしろ…。最近、その見え方があまりに違う人と出会い、まるで理解されず、説得する意欲を失いつつありますが…(笑)。

ところで、一昨日、すまけいの「天切り松闇がたり」を見てきました。鷲尾真知子の1人芝居、藤原道山の尺八、それに黒子が登場。すまさんは大好きな役者さんでしたが、大病をされたのか、足をひきずって、ろれつも少し回りにくいところがあった。でも、あの鋭い目つきに少しべらんめぇ調?で、「残侠(次郎長一家の小政)」と「宵待草(竹久夢二)」を活き活きと語っていました。鷲尾真知子の、背中に刺青の入ったおこん姐さんが粋でカッコよかった。昨日は江守徹の「言の葉コンサート」、これは芥川の「羅生門」他の朗読と一噌幸弘の笛、大倉正之助の大鼓。私の中で、最近、朗読が復権しているようです。
posted by カルミンat 2008/03/09 03:06 [ コメントを修正する ]

恩田ツアーの持っている世界観は、私個人がとても大事にしている部分とリンクしているところが沢山あって、参加していて非常に興味深く演じさせていただいております。

一座の公演ではできないこともあるわけですよ。

外部出演の大きなメリットでしょう。



朗読は、去年、聞修院で挑戦しましたが、いやはや難しいですね~。

posted by 小櫃川 桃郎太at 2008/03/13 02:44 [ コメントを修正する ]
初めまして!!JINライムと申します。
偶然、こちらに来たのですが、

私も、今生きている現実は、どこか別のところにあって、そこから見ている或いは思い出しているだけなのではないかと考えてたことがあります。
だから運命は決まっていて、どうあがいてもなるようにしかならない。と。

少し触発されて書き込みしてしまいました。おじゃましました。
posted by JINライムURLat 2008/03/22 23:26 [ コメントを修正する ]

はじめまして。
書き込み、どうもありがとうございます。


そうですね。結局、現実あるいは現在というものは、非常に不確かな事象であって、答えは出ないのではないでしょうか。だからこそ我々は考える訳で。考えずにはいられない訳で。


「思い出している」というのは、素敵な表現ですねえ。なるほどなるほど。

posted by 小櫃川 桃郎太at 2008/03/23 23:46 [ コメントを修正する ]

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