金曜日に、『番頭!皿屋敷』の出演者と後打ち上げに行ってきました。
もちろん(?)カラオケです。
3時間に渡り、歌舞伎町で歌謡曲の歌合戦が繰り広げられました。
公演で使った曲を歌ってみたのですが、改めて『与作』の難しさを思い知りました。
シンプルにして、奥が深い。ううむ、さすが巨匠、北島三郎さん。
その後、新宿の『大小原(だいこはら)』という飲み屋へ。
ここでは、毎月第3水曜日には、寄席が行われ、飲みながら落語が楽しめます。
私は、三沼さんと何度か来ていましたが、渡瀬さんは初めて。「こういう雰囲気の店は落ち着く」という言葉に、やはりこの方も感覚が古風だなあ、と思いました。
今度は落語を聞きに来たいですね。
落語という芸の素晴らしいところは、身体ひとつであらゆる表現を行うことでしょう。
噺家さんの卓越した話術により、観客のイメージ力は揺さぶられ、そこにあたかも、人や景色があるように感じる・・・というより、その世界に入り込んでしまう。
使う小道具も、手ぬぐいと扇子ぐらい。しかも、そのふたつが、煙管になったり、箸や徳利になったりする。
頼れるのは、己の身体ひとつ。
これは、ピーターブルックの言う『何も無い空間』にかなり近いのでは!?(と、私は思っております)
何より、『芸術』ではなく『芸』なのだというスタンスに、とても共感いたします。
あくまで大衆の楽しむ娯楽である、ということ。
それは、時として忘れられがちな、ささやかな問題を扱う事である、ということ。
だからこそ、真摯に、誠実に取り組む必要がある、ということ。
『何も無い空間』はあらゆる事を伝える。
『芸』は、身近にこそあるべきもの。
小櫃川 桃郎太
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