10月になりました。
神無月ですね。
気温の変化の激しさに身体がわたわたしております。
書くことが色々あるのですが、まずは観劇の記録です。
『Project BUNGAKU太宰治』
http://www.alotf.com/pb/
という企画公演。
ダルカラの谷さんが参加しているとの事で行ってきました。
4人の演出家が太宰治の作品をそれぞれ演出するというもの。
それぞれ違った味があり興味深かったです。
演目は
ひょっとこ乱舞『HUMAN ROSTO』
青☆組『燈籠』
アロッタファジャイナ『ヴィヨンの妻』
DULL-COLORED POP『人間失格』
という順番で、各演目は約20分。
ひょっとこ乱舞は初観劇。
ディープな内容を時に軽やかに、何気なく進めて行く、ちょっと幻想的な世界。
今回は新たな手法を取り入れていたようですが、
個人的には、もっと肉体的なパワーが観たかったかな、という気がしてしまいました。
勝手にそういう団体だとイメージしていたので。
まあ、開演前の待ち時間で私が疲れてしまっていたところもあるのですが・・・
青☆組『燈籠』。
うん。まずは衣装と所作の美しさが好み☆
(和服だったのですよ。)
各所で『絵』になる場面がちりばめられていて素敵です。原作とは全然違う世界観なのにねえ。
吉田小夏さんは、毎回毎回、いいリズムで作品を送り出してくるなあ、と思います。
観ている側が、「ここで来て欲しい」というタイミングで、ばっちりと台詞・音・間などが入ってくる。
音楽的ですよね、なんか。
登場人物の人間くさい愚かさが、妙に美しく哀しく、まるで浮世絵のように描き出される。
こういう小説なのか?なんて思わせる作品でした。
『ヴィヨンの妻』。
一番オーソドックスな演劇スタイルのような作品。
が、どこかしら確信犯的なズレがあって、その錯綜感がモヤモヤとした感じを生んでいました。
後半の、出演者がシルエットになるシーンが、やたらと印象的でした。
で、『人間失格』。
むう、面白い。
知人としてのひいきめを差し引いても、これは面白かったのです。
とりあえず、ものすごくわかり易かった。これ、すごい。
そこには太宰作品における、人間の普遍的な部分とかあるんでしょうけど、
アフタートークで香山リカさんが言っていた「人間のしょーもない所」を舞台上にハッキリと出していて、
「ああ、こんな人、今もいるなあ」
と、そこが非常にリアルに迫ってくる。
主人公を演じるのは女性。(『柿食う客』の女優コロさん。ものすごく素敵)
その後ろに立ち、内なる声を発する中年の男性。
翻弄され、堕ちていく様が情けなく愚かしい。
軸になって描かれている人間が、実は距離を取って演じられている。
距離を取った時にこそ、浮き彫りになる事柄があるのですね。
小説という二次元の作品を舞台上に立ち上げる試みなわけですが、
偶然か必然か、各団体とも、文章を解体し、役者の発する言葉(リズム)と身体(空気)で空間を支えて行く手法をベースにしていたように思います。
バラバラなようで、アプローチの仕方は基本的に同じだったのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
まだまだ公演は序盤。
回を増す毎に、また違った味が出てくるかも知れませんね。
帰りに、久しぶりに谷さんと話をしました。
香山リカさんのサイン色紙をもらって、嬉しそう☆
ハマカワフミエさんが出演していて、こちらも久しぶりにお話できました。
楽しかった。
お二人とも、後半もがんばってくださいね。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
クロムモリブデン初観劇です。
小林タクシーさんから「きっと桃郎太さんは好きだと思います。」とのメールをいただき、行ってみました。
うん、好きですね。(笑)
ポップで爆音シュールでお洒落
全体の色合いが素敵ですねえ。
とても毒のある危ういテーマを扱いながら、あくまで馬鹿馬鹿しく軽快に進むストーリー。
途中から「あ、ダークな方向に進むのかなー。いたたまれない話になるのかなー。」と思って観ていたのですが、最後まで、そのギリギリの境界線の上を駆け抜けて行ったところが、とても好きです。この辺は好みでしょうけどね。
創り手側からすれば、いくらでも重たい作品にでも、もっとどーでもいい話にでもできたのでしょうが、『こっちからこっち』のライン上を疾走して行く様が、大変楽しかったです。
ラストも「あ、ここで終わるの!?」と観客を煙に巻き、偶像を残して去る確信犯的な終わらせ方でした。
自分はてっきり、あとワンシーンあるのかと思って観ていたのですが、他の観客の方々はどう感じたのかしら?
個人的には、「もっと駆け抜けてもいいんじゃない!? ヘイヘイ!!」というところもあったのですが、とても楽しゅうございました。
音の入れ方とか、参考にしたいな。
タクシーさん、おつかれさまでした!!
全然関係ないけど、
「タクシーさんて、本当にリリーフランキーに似てるよなあ・・・」
なんて思いながら歩いた帰り道。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
今日は、仕事を終えてから劇団河馬壱の打ち上げに参加してきました。
今年は出演していないので、土曜日に観客として観に行ったのですが、
数えてみたら客席から観るのは、なんと5年ぶりでした。
そうかあ、そんなに経つんだなあ…
知人の言葉を借りれば「観客を煙に巻く」ような独特の世界観。
やはり今年も河馬壱は堂々と河馬壱でありました。
なんといいますか、毎日めまぐるしく周囲が変化していく中で、
毎年変わらずにいてくれる存在って、すごく貴重だと思うんですよね。
もちろん、河馬壱の皆さんにも色々な事があるわけで、
でも、それでも河馬壱は河馬壱であり続けているのです。
誰がいつ帰ってきてもいいように。
今年も河馬壱は河馬壱らしく店を開いていました。
なんかそれって素敵だな、と思うのです。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
いや、面白かったんだこれが。
会場はフラット。
椅子はなく、観客は座布団を受け取り好きな場所に陣取る。
このスタイルが、大変興味深かった。
ドリンク付きなのでビール片手によっこら。
音楽と照明が心地よい。
『見上げる』演劇であった。
夢と現の境を生み出すようなreset-Nの作品世界(だと、自分は思っているのだが)。
舞台の境界と椅子の高さが無くなった時、空間全体が世界になり、その中に自分達がいる。
なんだか、水中にとぷんと沈み、水面を見上げているようである。
天井が高く、芝居の最中も天井部がよく見えるのだが、見上げてみるとそれがまた美しい。
こういう作品だと、余所見しても面白いのである。
(途中でビール買いに立ちたかったけど、ちょっとそれはしづらい雰囲気でした)
さて、今書いているのは俗に言う「セットが素敵だった」というようなことでは決してない。
この作品は外から『観る』のではなく肌で『感じる』ものなのだ。
舞台に映し出される世界を傍観するのではなく、その世界に入る、一部となる。
彼らは、そんな空間を創り出した。
今回は、椅子をとっぱらった時点で、彼等の勝ちである。
これ、一座でも参考にしたいなあ。
終演後にパンフを読んだのだが、主催の夏井さんのひと言。
「これが演劇です」
なるほど。
行き返りに渡る吾妻橋が、またなんともいい効果でした。
ほら、あの、神社にお参りに行くような感じね。
隅田川を眼下に橋を渡り
ふたたび、日常へ。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
DULL-COLORED POP公演
『プルーフ/証明』を観劇。
いやあ、面白かった。
出演者全員よかったのだけど、特に中田顕史郎さんの演技が素晴らしかったです。
とても精緻な演技をする方ですねえ。
ひとつひとつの事柄が、小気味よいリズムで繰り出され、無駄が無い。
舞台上で、まるで謡っているか、踊っているかのような印象でした。
ミュージカルみたいというのではなく、観る者を惹きつけるのですね。
かなり好き放題やってるシーンもありましたが。(笑)
『小部屋の中のマリー』で共演していたのに、
あの時全然お話できなかったのが、今更ながら残念です。
清水那保さん演じるキャサリンは、とても儚くて、脆い。
「娘」として、最後まで父と共に居たひとりの人間を、優しく描いていました。
この方も年齢を重ねて、色々な味わいが出てきましたねえ。
『エリクシールの味わい』でも思ったのですが、彼女、非常にノースリーブが似合うのですね。
身長は大変小さいのですが(笑)、意外とがっしりした、いい骨格してます。
映像に出てみるのも良いのではないかしら? などと思ったり。
舞台上はテーブルと椅子のみという最小限の舞台装置。
これ、よかったですね。
サンモールスタジオの縦長の空間に、観客は情景を描く。
全体がキャンバスになる。
「シンプルで効果的な装置」と「お金をかけていない装置」という印象の境目は、
やはり演者の技量が大きい。空間を創るのは、演者ですから。
過去のシーンとか、儚くて美しかった。
たぶん、いい芝居って、「絵になる」シーンがいっぱいあるんですよ。
谷さんの翻訳は、本当に聴きやすく書かれているのでしょうね。
大前提として、それが無いと外国戯曲を舞台に上げても、あまり意味ないんだろうな。
セットが壊れかけたり、照明がトビかけたりと、色々とありましたが、
まあ、それもご愛嬌ということで。
『心が目を覚ます瞬間』も楽しみです。
奈津美さん、がんばって☆
駆け抜けろ、駆け抜けろ!!
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)