昨夜書いた『今日も、ふつう。』のラストシーンの解釈についての補足。
私は「何、キレイに終わろうとしていやがる」と考えた訳ですが、
その想いが浮かんだのは、あのシーンにある種の「美しさ」を感じてしまったからではないかと思うのです。
歪んだ関係と歪んだ状態。
そこに産まれた、歪んだ愛憎のカタチ。
歪んだゆえの美しさを感じてしまったため、理性が「いや、認めん」と否定をしていたのではないかな、と。
そんな事を、和菓子を箱詰めしながら考えました。
まあ、やっぱり認めないけど。
ふざけんな、と思うけど。
和菓子の箱を包みながら、
自分の内側の蓋を開ける。
そんな日曜日の朝。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
-----------------
sent from W-ZERO3
PR
トラックバック
トラックバックURL: