本日は『小部屋の中のマリー』で共演した
菅野貴夫さんと
DULL-COLORED POP 堀奈津美さん
の出演する舞台2本を観てきました。
これがまあ、ものの見事に世界観が間逆だったのである。
和菓子屋の仕事を午前中で終え、着物に着替えてえんやこら。
お昼は、奈津美さんの出演する舞台を観に、王子小劇場へ。
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劇団競泳水着第10回記念公演
第二期・トレンディードラマシリーズ三部作 第三弾
「プリンで乾杯」
~それもこれも、きっと愛。~
脚本・演出 上野友之
2008年12/10(水)~16(火)
@王子小劇場
『トレンディードラマ』の定義が、私にはよく分からないので、その辺は置いておいて・・・。
登場人物達は、全員【恋か仕事・または両方】に悩んでいます。
ルームシェアする若者達。
音大生やバンドマンや新社会人。
分かれた彼女と【友人】として同じ屋根の下に暮らす事になった人・・・。
どうにも上手くいかないもどかしさ。様々な事情を抱える男女の、
悲喜こもごものやりとりが展開されます。
で、色々な節目で、皆がプリンを食べる訳です。
なので、『プリンで乾杯』。
奈津美さんは、デビュー寸前のバンドマンの恋人役。少し年上だったのかな?
彼女の持つ、温かな優しさが良く出ていました。
この方も、独特の情の深さと言いますか、
受け止める優しさ(時に強さ)を自然に体言できる役者さんですね。
未熟な若者達の中にあって、ちょっとだけ大人びた視点を持つ存在。
いいポジションだったと思います。
それにしても、奈津美さんはビールが良く似合いますね(笑)。
ちょっとしたタイミングで、すれ違いは起こり、
それぞれの道はどんどん作り出されて行き、
それでも、また交わる時は来るか。
ささやかで、時に味気なくも大切な時間。
そんな印象でした。
作品として少し気になったのは、
出演者は、ひとりひとり面白く、展開もそつなく過ぎて行くのですが、
全てのシーンが同じリズムで、登場人物が皆、同じような悩みを抱えているためか、
キャラは違うのにトーンが一定になってしまい、途中きつくなってしまうところはありました。
ずーっと観覧車に乗って何週もしている感じです。
そうなると、どのキャラにも感情移入がしづらくなってしまうのです。
途中、作品創りに悩みを持つエロ漫画家さんが出てくるのですが、
デフォルメされたキャラのハズの、彼の言葉が一番リアリティーがあったりしました。
あれ、面白かったなあ。
とはいえ、色々な部分でセンスの良さは感じたので、
今後は、『ジェットコースター』や『メリーゴーランド』的なシーンも入れていただけると、ありがたい。
夕方。着物屋さんで古着を見つつ、向かった先は新宿シアターモリエール。
菅野貴夫さんの出演する舞台を観てきました。
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アロッタファジャイナ第10回公演
『今日も、ふつう。』
作・演出 松枝佳紀
日時:2008年12月10日(水)~14日(日)
会場:新宿シアターモリエール
ダルカラの谷さんも書いていたけど、
あまり『ふつう』の人達は出てこなかったです(笑)。
『プリンで乾杯』とは対照的に、
登場人物のほとんどが殺人などの事件に関与してしまうという、とんでもねえ物語。
一見「ふつう」に暮らしている人達。
が、ちょっとしたきっかけで「ふつう」は裏返り、その実態を晒す・・・
と、こう書くとパニックホラーのようですが、
冒頭は恩田陸の『六番目の小夜子』や赤川次郎のミステリ小説のような雰囲気。
4人の女子高生が主役なのですが、案外、ストーリーはその周囲で動き出し、歪んでいく。
これは、いい手だと思いました。
まあ、終盤ちょっと展開が強引なところがあり、脇役達が全員殺人を犯すというのも、
却って全体の効果を失わせているのではないかと思いましたが、歪み具合はキライじゃなかったです。
菅野さんが、とても良かった。
4人の女子高生の若々しい輝きの中に、菅野さんの陰りのある落ち着きが、いいアクセントでした。
まあ、菅野さん、最後はとんでもない過去が暴かれる訳だけど、なぜか納得してしまう。
ありそう(笑)。
ラストシーンでは、とある事件の犯人だった事が明るみになった二人が、
過去を清算しようと(終わりにしようと?)家に火を放ち、
色々とうやむやなまま、山下達郎の音楽の流れる中、
二人は案外と満足気に抱き合いながら死んで行きます。
このシーン、キレイに創ってありますが、何しろ、当の本人達は、
自主するでも謝罪するでもなく、友人に「私たちの本当の事を小説に書いて」と言い残し
(ある意味)愛し合って心中するので、ツッコミどころ満載なのです。
「おいおい。何、キレイに終わろうとしてやがる」的な。
ですが、この身勝手なツッコミどころの多さに、
妙に納得してしまうところもあったのです。
彼らにとっての大事な事。
「こうやって死んで行く連中いるかも」って思ってしまいました。
あたしゃ、認めませんが。
―と、まあ、一日で本当に両極端の世界を観て来た訳ですが、
観る順番が逆だったら、また違った感想が出てくるかも知れませんね。
日常と非日常。
それもこれも現実で真実。
我々は、どっちの面も持っています。確実に。外れなく。
プリンと生肉。
どちらかだけでも、それはそれで恐ろしい。
小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)
いやあ、面白い!!
そこと、この公演が確実に違うのは、
それは自分との差異を見つめ、自分と、さらには自分以外(社会?)と向き合う事になります。
エネルギーを生み、それがまた観客に何かしらの影響を与える。
【自分達の生活圏に】新たな出来事が起こった事。これが大きいのです。
演劇というものの素晴らしさのひとつは【出会い】、そして【繋がり】です。
出演者並びにスタッフの方々は、ここまで深く【出会って】はいないと思うのです。
「ロミジュリって、こういうお話だったんですね!」って言っていた人達がいた
とか、
ワークショップに参加していまして、2回ほど出演したこともございます。
小櫃川一座とはまったく色が違うので、驚かれる方が多いですね。
逆に、テラの方々が小櫃川の公演を観ると、これもまた驚きます(笑)。
新たな命を生み出そうとする試みを行っている団体です。
以下に書いた文章がそのまま客観的な意見にはならないかも知れませんが、
本番当日まで内容は知らされておりません。とりあえず自分なりの意見を書いてみました。
2400年という時間・空間の隔たりを飛び越え、過去と現在の世界を接続させる試み。
皆、仮面を被り、無機質にキーボードを打ち続けている。
(最終的に)大いなる意思に接続するという行為のメタファである、と思われる。
相当気力と集中力を使ったと思われます。
私が男性で30代であるためか、掲示板テキストに対してどうにも違和感を覚えてしまう部分もありますが、
言葉がことばになる瞬間や、身体の奥から生まれる意識が空間を埋めて再構築していく形態は、
非常に興味深いです。
【DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)】の公演
『Caesiumberry Jam(セシウムベリージャム)』を観劇してきました。
事故現場から遠く離れていて平和な(ハズ)の小さな村を取材した
フリーカメラマンの記述よって語られる、ひとつの≪現実≫の物語です。
死の灰をイメージさせ、時には部屋に、時には森にと、自在にその空間は変化します。
おそらく、稽古場でも役者に部品(パーツ)だけ提示して、そこから出てきたものを尊重するやりかただったのではないでしょうか。
具体的な被害のイメージはできなかったのではないでしょうか。
事故の痛ましさを伝えるという面から考えれば、少し優しすぎるという部分などはあったかも知れませんが、谷さんの作品の持つ視点は、好感を持っています。
水族館劇場の舞台を観劇。
テント芝居を観るのは、2回目。
とにかく、観終わって、なんだか分からないモノが、頭の中をぐるぐるしている。
なんというか
上手いとか、下手とか、
演出がどうとか
セットが凄いとか
確かに凄いんだけど、どうでもよくって
退屈なところいっぱいあったけど
寒いけど、長いけど、ツライけど、
目が離せない・・・のか? そうか?
ああいう芝居がやりたい! とも思わないが。
この感覚が、何なのか。
快なのか不快なのか。
解なのか深いなのか。
『芯』にあったのは『情』。
ああ、よくわからねえんだけど、異様に切ないんだよ!!
たぶん。
小櫃川 桃郎太