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2024/04/20 05:05 |
沖縄戦の痛みを


前日の話になりますが、23日は沖縄戦慰霊の日でした。
私も、黙祷をささげさせていただきました。
 
 
ここ数日、各メディアがその事についての報道を行っています。
 
 
そんな中、政府は教科書の書き換えと、
法の改正に全力を注ぎ、
出版物を規制しています。
 
そうして事実は捻じ曲げられ、
当事者達は死んでいき、
どんどん歴史は隠蔽されていくのです。
 
 
 
別に、小ムズカシイ事を言うつもりはありません。
ただ、今、当事者の人達の感じている悔しさが、痛いのです。
 
 
だから、私は

「忘れてやるもんかよ。」

と思うのです。
 
この痛みを、伝えてやろうと思うのです。
 
 
                      小櫃川桃郎太(おびつがわ ももろうた)
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2007/06/24 00:08 | Comments(0) | TrackBack() | 桃郎太は考える
私の中のあなたと私


『矛盾』という言葉があります。

『矛盾した考え』・『矛盾した行動』・『矛盾した意見』。
あまり、いい意味では用いられません。


しかし我々は、実生活において、この『矛盾』と頻繁に接します。

愛しているのに憎らしい
腹が立つのに、気になる
苦しいのに嬉しい
楽しいのに悲しい
なぜか無性に心がざわめく

多かれ少なかれ、私達は誰でも『矛盾』を抱えている。
そして、それがとても大切なのではないか、と私は考えます。


自分の中に、相反するふたつ(以上)の意識がある。
それはなぜか? と考える。
それは自分の中の差異を見つめることになります。
「こんなこと考えちゃいけない」と思う時、「こんなことを考える自分がいる」と
気づいたりします。
イヤなんですけどね。


それが『人』の持つ必然的な側面であるならば、
舞台に立つということは、より密度の高い『矛盾』を抱える事になるでしょう。 
『情』というのでしょうかねえ?

相反するふたつ(またはより多くの)力が絡まり、生み出すエネルギー、
限界点ギリギリで、ふと、そこに、ある生命力が生まれる。
それは、良いとか悪いではなく、結論の出せ得ない、どうしようもなく儚いもの。

おそらく、それがとても尊く、愛しいモノなのです。
私の場合。


                                    小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)






2007/06/06 01:29 | Comments(5) | TrackBack() | 桃郎太は考える
作品って、自分が出るらしい。

次回作について思案中。


過去の作品も読み直したりして、色々考える。
まあ、たかだか4~5作品ですが(しかもオリジナルは皆無)。




どうやら、自分は

○ ベタ(お約束)好きらしい。
○ 庶民を描きたいらしい。
○ なるべくなら、登場人物たちに幸せになって欲しいらしい。
○ が、案外、彼らは大変な目に遭うらしい。
○ 怪談・おとぎ話などの、「視えない」存在との関わりを描いた物が基盤。
○ かといって、泉鏡花とは、少し違うらしい。
○ 結構、あて書きらしい。
○ ベースとなる話が必要らしい。
○ 毎回、役者側から大事な台詞を丸ごと提供してもらっている。
○ 偶数(主に二人)の関係性より奇数(主に三人)の関係性が大事らしい。
○ 『語らない』ことが大事らしい。
○ 『答え』は提示したくないらしい。
○ 小さな事柄を拾い集めたいらしい。
○ あんまり、恋愛を描きたくはないらしい。
○ カッコイイ殺陣なんかいらない。
○ 男だけの話は、多分書けない。
○ 案外、ドロドロした話が多い。
○ 以前にも書いたが、『欠けている』人々が多く出てくる。


・・・うーん。
なんか「黒ーい」モノが、ちらほらと見えるなあ。


公演のアンケートを読むと、「ほのぼのした」とか「楽しかった」というのがけっこう多い。
中には「情念たっぷり」なんてのもあります。
まあ、『四谷怪談』などやっていますから、そこは仕方ありますまいが、それは私の『闇』の部分なのでしょうか?


ほのぼのとしたドロドロ。


どんな芝居なんだ、我ながら・・・。 

                                小櫃川 桃郎太(おびつがわ ももろうた)


2007/05/24 00:30 | Comments(0) | TrackBack() | 桃郎太は考える
言葉を超える、手のひらという感覚
 
☆祝☆
友人が12日に男の子を出産いたしました!
この間書いた友人とは違いますが、この夫婦も小学校同期です。
いやあ、めでたいなあ。
元気に育って欲しいです。
 
 
さて、『みくしぃ』を始めて、数日。
この間出演した、『NEKOMICHI ROCK FESTIVAL'07』の方々が登録してくれました。
一座の常連様であるyoriさんも、登録いただきました。ありがとうございます。
なるほど、なかなか楽しいです。
 
 
こういった電子機器の発達は、とても便利で楽しい。
ですが、その反面、気をつけなければいけないこともある、と私は考えています。
 
デジカメやインターネット、またはケータイの普及に伴い、我々は「機械越し」に相手とやりとりする事が、非常に増えています。おそらく、これからもどんどん多く、早くなって行くでしょう。
例えば、入学式などで我が子の成長を記録しようと、保護者席から、デジカメを片手に一生懸命に撮影をするお母さん、お父さん。
それもいいのですが、その前にしっかりと、自分の子供の成長を、「自分の目で」見てあげて欲しいと思うのです。
(これは、一年程前にとある新聞に載っていた社説の流用ですが、大変共感いたしました)
 
最近、現代の子供たちは「体験」する機会がどんどん減っていると言われています。
でも、それは大人の反映なのです。そしてこれは、とても「もったいない」事です。
私が演劇というモノを続けているのは、そういう部分もあります。
芝居(演劇)とは、突き詰めれば(遡れば)「体験」そのものであり、とても原初的な、ローテクなものなのです。多分。
直接、その場に居て、肌で体感するから芝居(演劇・またはライブ)は面白い。
やはり、それは《体験》です。
 
電子機器の発達した現代だからこそ、逆に必要とされてくるのではないでしょうか。
 
 
私は、「手のひらの感覚」というものを、とても信頼しています。
理屈っぽいので、ゴチャゴチャしたときは、手で触れて、感じるようにしているのです。
(余談ですが、樹や土に触れるのが大好きです。とても落ち着きます。)
 
 
 
一座の公演でも、その感じてもらう部分は、大切にしています。
和風芝居・芝居小屋の持つ、自然とともに培ってきた温もりのようなもの。
日本人が根底に持っている、懐の広さと柔軟性。
それは古典ではなく、誰もが今も遺伝子レベルで持っているのだという事。
このネット社会でコテコテの時代劇をやる事は――時代に逆行する事は――、おそらく意義があるのではないか、と思っています。
 
まあ、でもそんなに難しく考えずに、まずは楽しんでもらいたいのですが。
 
 
自分が、いつか父親になった時は、子供とたくさん手をつないで、たくさん頭をなでてやろう!
なーんて考えております。わははは。
 ゆっきー、ハマ、おめでとう☆
 
                                              小櫃川桃郎太
 

2007/05/14 01:32 | Comments(0) | TrackBack() | 桃郎太は考える

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